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ハンマー音頭の写真日記

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2006年 09月 16日

 伊豆大島を訪ねて その2






小田急線和泉多摩川で電車を降り、多摩川の土手に出て下流に見える宿河原堰堤を目指します。

 伊豆大島を訪ねて その2_a0084757_12202119.jpg

(宿河原の写真がないので、少し上流にある京王線鉄橋の上、詰り電車の窓越しに撮った写真を載せます。雰囲気はよく似ています)



最初はどこで化石を探せば良いか分からず、川原をさまようばかりでしたが、やがて堰堤の下流、川の中州と岸の間に少し青みがかった茶色の砂泥層が馬の背のように何本も並んで露出しているところがあり、その上でなにやら掘っている中年の男性を見つけて、その人に尋ねて、初めて此処がそれと知りました。

その人は、ここに何度も来ているベテランで、懇切丁寧にハンマーを使っての掘り方を教えてくれ、満足な道具も持っていない我々親子に自分の地質調査用のハンマーを貸し与えて、掘ってみろと手ほどきをしてくれたり、娘にその日に掘った貝化石を2,3、くれたりもしました。ある程度経験を積んだ今から振り返ってみても、その人の指導は要点を押さえて無駄がなく、全くの初心者である我々親子が彼に出会ったのは、大変幸運なことだったのだ、と思います。

化石掘りの楽しみは、やったことがない人には分かりません。ハンマーを振るっていきなり化石が姿を現した時の嬉しさと胸の高鳴り、遠い昔幼かった頃、自分だけの宝物を探してそれを見つけ出した時にだけ経験することができたあの興奮が再び現実となるのです。

多摩川宿河原堰堤下流のこの場所は、大雨があると上流から砂利や泥が流されて積もったりして化石が出る砂泥層を覆ってしまうこともあり、行って見ないと収穫が望めるかどうか、分からないことが多いようです。
上野の国立科学博物館は毎年春先に初学者を此処に連れてきて、化石掘りの手ほどきをしています。我々初心者を懇切丁寧に指導してくれたあのベテランは、もしかすると似たような初学者を連れて来るために下見をしに来た人だったのかもしれませんね。


残念ながら日本では恐竜の化石を発見することは至難の業です。まして東京近辺には中生代の地層は少なく、秩父や奥多摩などに有ってもすべて海底だったため、陸に棲んでいた恐竜の化石を発見する可能性は極めて低いのです。それでも茨城や福島の方には、同時代の海に住む首長竜の仲間の化石が出ます。日本TVの「鉄腕ダッシュ」で掘っていたあのフタバスズキ竜です。但し、これは恐竜と同時代とはいえ、種が違います。とは言え、北海道や高知で中生代と言えばこれ、というアンモナイトが出るところがありますし、古生代の代表的化石である三葉虫ですら発見されています。僕等が少年時代に、手塚治虫の漫画などに描かれた、あの当時の人々が想像した古生代の風景に欠くことができない鱗木の化石が日本で出たこともあるのです。記憶では確か、世界でも数例しか発掘されていない、という優れもののはずです。それから、あの日航ジャンボ機が落ちた御巣鷹山の近くに恐竜の足跡化石が道路際の岩壁に残っていますし、福井県では一部とは言え肉食恐竜の化石が発見されています。


さて、子どもの為に始めた化石掘りは、全くの初心者である父親にとって、けっして生易しいものではありませんでした。先に述べた多摩川の川原でも、初日はほとんど坊主で、何度か通って漸くマシな化石を掘れるようになったのです。その経験から、先ずは下調べをした後に子どもを連れて行こうと、やがて父親は一人で自宅の近場をあちこち出かけ、化石を掘れる場所を探すことになります。何故って、子供を連れて毎回坊主じゃ子供の関心を繋ぎとめられないし、父親の権威も地に落ちてしまうじゃありませんか。出かけるにあたっては勿論情報が欠かせず、初学者用の入門書を紐解いて、おおよその当たりをつけ、その近辺を探し回るのです。

 伊豆大島を訪ねて その2_a0084757_1217637.jpg

(伊豆大島にある有名な火山灰による地層です。地層は普通、こんなに見事に分かり易いものではありません)



そうすると、地層にはいろいろな種類があって、どんな姿をし、どんな地層にどんな化石がある可能性があるか、と言うことがおぼろげながら分かってきます。そしてこの勉強こそは、東京近郊の土地が昔どのようにして出来上がって行ったのかを知る、地学の勉強そのものというわけです。

( 続く )

by hanmaondo | 2006-09-16 13:01 | 地球科学


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