ハンマー音頭の写真日記

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カテゴリ:地球科学( 3 )


2006年 09月 17日

 伊豆大島を訪ねて その3



 地層・地球・シアノバクテリア


このようにして化石への興味は、地層に、そして地層に含まれる岩石へ広がっていきます。それは同時に、日本列島の生い立ちや地球そのものの誕生から今日に至る悠久の変遷に対する興味へと繋がることになります。


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いろいろと読んでみて分かった事とは例えば、日本列島はほとんどの部分が嘗て海面下であったとか、やがてユーラシア大陸を離れたちっぽけな島?あるいは海面下の地塊に、いろいろなものが、- 海底の地層とか島とか - がくっ付いて、海底にあったものも時とともに隆起し、今の形になったのだ、とか。


隕鉄を主な成分とする隕石が集まってできた地球は、数億年の間、無数の隕石をさらに呼び込んで成長し、マグマの海に星が降る、どこかの科学雑誌で描かれていた光景が長く、多分数億年続いたらしいですが、今日に至る46億年の間には、何度もものすごい大変化があったとか、そして現在の地球の姿を生み出すのに、生物がけっこう決定的な働きをなしていたのだとか。


例えば、原始大気に大量に含まれていた二酸化炭素は、水に溶けこみやすいために地球に海が生まれた時、半分は海水に溶け込んだのですが、残りの半分と言わないまでもかなりの量を取り込んで、酸素を排出して原始地球の大気を変えたのはシアノバクテリア(藍藻の一種)と呼ばれる植物のご先祖さまを初めとする単純な生物たちでした。


シアノバクテリアは27億年前に栄えた単細胞原核生物で、世界中の浅い海に生息し光合成を行ってその「廃棄物」としてそれまで地球に存在していなかった、と言うより合成されていなかった酸素を海水中に排出しました。細菌の一種であるシアノバクテリアは粘液を出し、この粘液に海中の石灰質微粒子が付着して層を作っていきます。こうして縞模様を持つマッシュルームの形をした岩の固まりにしか見えないコロニーを作り上げて海底に木の林のように林立しました。その特異な形状からこのコロニーはストロマトライトと呼ばれています。ストロマトライトは世界中の浅い海底に林立して、酸素を生み出し、生み出された酸素はやがて大気にも取り込まれていくわけですが、それだけではなく、まずは海中の鉄分と結びついて酸化鉄を生み出し(その際どうやらバクテリアの一種がこの作用を助けたようです)、これが海底に厚く堆積して行ってやがて鉄鉱層となり、数十億年の後、人間が使うこととなる鉄そのものをも生み出したのです。


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ストロマトライトなくしては、後の真核生物の発生はなく、酸素を消費して飛躍的にエネルギー効率を高めた生物の発生もなく、当然ながら人間のような高度に発達した多細胞生物もなく、鉄器時代もなかったというわけです。ストロマトライトはやがて、自らが生み出した環境の変化で他の生物を生み出す環境を整え、この新たな生物たちがストロマトライトの捕食者となって、世界の海中から消えていきます。それでも西オーストラリアの一部(シャーク湾ハメリンプール)に、彼等は現生のストロマトライトとして残っています。そこは、やはり浅い海なのですが、塩分濃度が高く、捕食者である他の生物にとって住みにくいためにストロマトライトの楽園となって残ったのです。


日本にはシアノバクテリアのおかげでできた鉄鉱層はありません。なぜなら、できた年代が日本のものより遥かに古く、最盛期は25~20億年前で採集不可能な海底を除けば(と言っても後に述べる理由から実は海底に残っていません)、大規模な産地はオーストラリア、中国、北アメリカなどの古い地層を持つ大陸に限られるからですが、日本にはそれに対して5億年より古い地層が存在していません。それでも砂鉄として細々と利用が可能であるのは、本来多くの岩石に、酸化鉄重量にして10%ほどの鉄がふくまれているからだそうで、そこから分離した砂鉄は他の鉱物に比べて比重が重いので、少量なら集め易く、採集し易かったのでしょう。


ところで、シアノバクテリアは今でも現生で、どこにでも現れる生物です。例えば君の家の手入れの悪い水槽に現れます。暗緑色、こげ茶色、赤紫色のもやもやと沸いている藻のようなものがそれです。水槽の中ではストロマトライトに成りようもないですが、彼等なくしては我々人間も存在していない、と考えると生態系の不思議さとその時間的・空間的広がりの広大さと、高々500万年しか存在していない、ちっぽけな人間の尊大さに感興を覚えます。

(  続 く )



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by hanmaondo | 2006-09-17 22:16 | 地球科学
2006年 09月 16日

 伊豆大島を訪ねて その2






小田急線和泉多摩川で電車を降り、多摩川の土手に出て下流に見える宿河原堰堤を目指します。

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(宿河原の写真がないので、少し上流にある京王線鉄橋の上、詰り電車の窓越しに撮った写真を載せます。雰囲気はよく似ています)



最初はどこで化石を探せば良いか分からず、川原をさまようばかりでしたが、やがて堰堤の下流、川の中州と岸の間に少し青みがかった茶色の砂泥層が馬の背のように何本も並んで露出しているところがあり、その上でなにやら掘っている中年の男性を見つけて、その人に尋ねて、初めて此処がそれと知りました。

その人は、ここに何度も来ているベテランで、懇切丁寧にハンマーを使っての掘り方を教えてくれ、満足な道具も持っていない我々親子に自分の地質調査用のハンマーを貸し与えて、掘ってみろと手ほどきをしてくれたり、娘にその日に掘った貝化石を2,3、くれたりもしました。ある程度経験を積んだ今から振り返ってみても、その人の指導は要点を押さえて無駄がなく、全くの初心者である我々親子が彼に出会ったのは、大変幸運なことだったのだ、と思います。

化石掘りの楽しみは、やったことがない人には分かりません。ハンマーを振るっていきなり化石が姿を現した時の嬉しさと胸の高鳴り、遠い昔幼かった頃、自分だけの宝物を探してそれを見つけ出した時にだけ経験することができたあの興奮が再び現実となるのです。

多摩川宿河原堰堤下流のこの場所は、大雨があると上流から砂利や泥が流されて積もったりして化石が出る砂泥層を覆ってしまうこともあり、行って見ないと収穫が望めるかどうか、分からないことが多いようです。
上野の国立科学博物館は毎年春先に初学者を此処に連れてきて、化石掘りの手ほどきをしています。我々初心者を懇切丁寧に指導してくれたあのベテランは、もしかすると似たような初学者を連れて来るために下見をしに来た人だったのかもしれませんね。


残念ながら日本では恐竜の化石を発見することは至難の業です。まして東京近辺には中生代の地層は少なく、秩父や奥多摩などに有ってもすべて海底だったため、陸に棲んでいた恐竜の化石を発見する可能性は極めて低いのです。それでも茨城や福島の方には、同時代の海に住む首長竜の仲間の化石が出ます。日本TVの「鉄腕ダッシュ」で掘っていたあのフタバスズキ竜です。但し、これは恐竜と同時代とはいえ、種が違います。とは言え、北海道や高知で中生代と言えばこれ、というアンモナイトが出るところがありますし、古生代の代表的化石である三葉虫ですら発見されています。僕等が少年時代に、手塚治虫の漫画などに描かれた、あの当時の人々が想像した古生代の風景に欠くことができない鱗木の化石が日本で出たこともあるのです。記憶では確か、世界でも数例しか発掘されていない、という優れもののはずです。それから、あの日航ジャンボ機が落ちた御巣鷹山の近くに恐竜の足跡化石が道路際の岩壁に残っていますし、福井県では一部とは言え肉食恐竜の化石が発見されています。


さて、子どもの為に始めた化石掘りは、全くの初心者である父親にとって、けっして生易しいものではありませんでした。先に述べた多摩川の川原でも、初日はほとんど坊主で、何度か通って漸くマシな化石を掘れるようになったのです。その経験から、先ずは下調べをした後に子どもを連れて行こうと、やがて父親は一人で自宅の近場をあちこち出かけ、化石を掘れる場所を探すことになります。何故って、子供を連れて毎回坊主じゃ子供の関心を繋ぎとめられないし、父親の権威も地に落ちてしまうじゃありませんか。出かけるにあたっては勿論情報が欠かせず、初学者用の入門書を紐解いて、おおよその当たりをつけ、その近辺を探し回るのです。

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(伊豆大島にある有名な火山灰による地層です。地層は普通、こんなに見事に分かり易いものではありません)



そうすると、地層にはいろいろな種類があって、どんな姿をし、どんな地層にどんな化石がある可能性があるか、と言うことがおぼろげながら分かってきます。そしてこの勉強こそは、東京近郊の土地が昔どのようにして出来上がって行ったのかを知る、地学の勉強そのものというわけです。

( 続く )
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by hanmaondo | 2006-09-16 13:01 | 地球科学
2006年 09月 15日

 伊豆大島を訪ねて その1



2006年5月に、M君が住む伊豆大島を小学校以来の友人2人とともに訪ね、ほんとうに久し振りにヨッタリで楽しい語らいを楽しむことができました。M君は相変わらず寡黙で優しく、あぁそうだね、これがM君だよ、という我々旧友が良く知っている気遣いを見せて、およそ45年前になる僕等の中学生時代へのタイムスリップの舞台を用意してくれたのでした。


初日の土曜日は、早朝から降り始めた雨が次第に強くなる、行楽には向かない天気でしたが、火山博物館や日帰り温泉で雨に打たれながらの露天風呂、初めて見るM君の職員住宅も興味深く、その晩訪れた波浮港にある鮨屋の大正風?内装も面白く、大いに楽しむ事ができました。翌日の日曜は雨も止み、ようやく4人で三原山の火口に行くことができました。

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火口を巡るそぞろ歩きでは、降り積もった溶岩のかけらを踏みしめながら昔話などに花を咲かせ、火口底から少しでも霧が晴れれば、あれだ、あれだと喜び、蒸気が未だに上がるのをみては島民全員に離島避難を強いるに至った1986年の噴火を思い出したりしていましたが、私はと言えば久し振りに地学熱を再発させて、玄武岩溶岩の面白い形をした小石を拾って帰ろうと、進み行く老眼に痛めつけられ、パソコン作業に酷使されて昔日の面影もなく衰えた視力を振り絞って地面ばかりを眺め、これは剣山のようなアー溶岩、あれは表が滑らかなパホイホイ、黒い軽石スコリアはちっとも面白くないなぁ、どこかに間違ってペレーの毛や涙なんか見つからないかしらん、と採集に熱中したのでありました。


こうして久し振りのフィールドワークの喜びを味わい、地学熱を再発させて伊豆三原山の成り立ちなどを調べ直しましたので、その結果を報告したいと思います。合わせて、今年還暦を迎えるせいか、盛んに己の来し方を振り返る癖がつき、人から見れば面妖な趣味、化石・鉱物採集の由来を語って見たいと思います。


化石探し

今年高校2年生になった次女がまだ小学生だった頃、いろいろなことに興味を示し、恐竜もそのひとつだったことから、何か化石を掘りに行ったらきっと喜ぶだろうと思いつきました。おぼろげな記憶ではありましたが、日本でも誰それが恐竜の化石をどこかで見つけた、というような記事を読んだことがあるような気がしたのです。


そこで調べてみると恐竜という生き物は、およそ2億5000万年から6500万年前までの中生代に生きていた、と言うことが分かりました。中生代の地層が露出しているところを掘れば、恐竜の骨を見つける可能性がなきにしもあらず、と言うわけです。地学の入門書を覗き、どこか近場にないかと探したところ、確かに中生代の地層が関東でも在ることは在る。例えば東京なら中・高校時代、仲間を誘って山登りをした奥多摩や五日市、それどころか小学校の遠足で行った高尾山だって中生代の地層が部分的に見られます。でもそこで恐竜の化石が出たという話は聞いたことがないし、地学の入門書にも書いてありません。 本をいくら読んでも、恐竜の化石が出そうな場所があるとは書いてないし、ものの本に拠れば在ると言われるアンモナイトや三葉虫の化石が出そうな処、北海道や四国は酷く遠いし、とても行けそうにありません。


そこで恐竜やアンモナイトは諦め、もっと初心者でも出来ることを探そうと方向転換することにしました。すると、どうやら多摩川の川原に行けば中生代ではないが、およそ100万年前の貝化石が埋まっている地層が出ているところがある、場所を見つけるのも化石を掘り出すのも、初心者でも出来そうだ、ということが分かりました。とは言え、なぁんだ、貝か、貝なら海岸に行けばいくらでもころがっているじゃあないか。つまらんなぁ、というのが本音です。とはいえ、どんなことでも初手から大発見なんてことは、ありえない、そもそもお前は初心者なんだから、兎も角始める事が肝心だ、「大発見」という千里の道も一歩から、なせばなる、なさねば成らぬ何事も、と反省し、ある週末電車に乗って多摩川の川原に連れ立っておもむき、貝の化石を探しました。
( 続 く )

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by hanmaondo | 2006-09-15 19:26 | 地球科学