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ハンマー音頭の写真日記

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2006年 09月 15日

 伊豆大島を訪ねて その1



2006年5月に、M君が住む伊豆大島を小学校以来の友人2人とともに訪ね、ほんとうに久し振りにヨッタリで楽しい語らいを楽しむことができました。M君は相変わらず寡黙で優しく、あぁそうだね、これがM君だよ、という我々旧友が良く知っている気遣いを見せて、およそ45年前になる僕等の中学生時代へのタイムスリップの舞台を用意してくれたのでした。


初日の土曜日は、早朝から降り始めた雨が次第に強くなる、行楽には向かない天気でしたが、火山博物館や日帰り温泉で雨に打たれながらの露天風呂、初めて見るM君の職員住宅も興味深く、その晩訪れた波浮港にある鮨屋の大正風?内装も面白く、大いに楽しむ事ができました。翌日の日曜は雨も止み、ようやく4人で三原山の火口に行くことができました。

 伊豆大島を訪ねて その1_a0084757_19122155.jpg


火口を巡るそぞろ歩きでは、降り積もった溶岩のかけらを踏みしめながら昔話などに花を咲かせ、火口底から少しでも霧が晴れれば、あれだ、あれだと喜び、蒸気が未だに上がるのをみては島民全員に離島避難を強いるに至った1986年の噴火を思い出したりしていましたが、私はと言えば久し振りに地学熱を再発させて、玄武岩溶岩の面白い形をした小石を拾って帰ろうと、進み行く老眼に痛めつけられ、パソコン作業に酷使されて昔日の面影もなく衰えた視力を振り絞って地面ばかりを眺め、これは剣山のようなアー溶岩、あれは表が滑らかなパホイホイ、黒い軽石スコリアはちっとも面白くないなぁ、どこかに間違ってペレーの毛や涙なんか見つからないかしらん、と採集に熱中したのでありました。


こうして久し振りのフィールドワークの喜びを味わい、地学熱を再発させて伊豆三原山の成り立ちなどを調べ直しましたので、その結果を報告したいと思います。合わせて、今年還暦を迎えるせいか、盛んに己の来し方を振り返る癖がつき、人から見れば面妖な趣味、化石・鉱物採集の由来を語って見たいと思います。


化石探し

今年高校2年生になった次女がまだ小学生だった頃、いろいろなことに興味を示し、恐竜もそのひとつだったことから、何か化石を掘りに行ったらきっと喜ぶだろうと思いつきました。おぼろげな記憶ではありましたが、日本でも誰それが恐竜の化石をどこかで見つけた、というような記事を読んだことがあるような気がしたのです。


そこで調べてみると恐竜という生き物は、およそ2億5000万年から6500万年前までの中生代に生きていた、と言うことが分かりました。中生代の地層が露出しているところを掘れば、恐竜の骨を見つける可能性がなきにしもあらず、と言うわけです。地学の入門書を覗き、どこか近場にないかと探したところ、確かに中生代の地層が関東でも在ることは在る。例えば東京なら中・高校時代、仲間を誘って山登りをした奥多摩や五日市、それどころか小学校の遠足で行った高尾山だって中生代の地層が部分的に見られます。でもそこで恐竜の化石が出たという話は聞いたことがないし、地学の入門書にも書いてありません。 本をいくら読んでも、恐竜の化石が出そうな場所があるとは書いてないし、ものの本に拠れば在ると言われるアンモナイトや三葉虫の化石が出そうな処、北海道や四国は酷く遠いし、とても行けそうにありません。


そこで恐竜やアンモナイトは諦め、もっと初心者でも出来ることを探そうと方向転換することにしました。すると、どうやら多摩川の川原に行けば中生代ではないが、およそ100万年前の貝化石が埋まっている地層が出ているところがある、場所を見つけるのも化石を掘り出すのも、初心者でも出来そうだ、ということが分かりました。とは言え、なぁんだ、貝か、貝なら海岸に行けばいくらでもころがっているじゃあないか。つまらんなぁ、というのが本音です。とはいえ、どんなことでも初手から大発見なんてことは、ありえない、そもそもお前は初心者なんだから、兎も角始める事が肝心だ、「大発見」という千里の道も一歩から、なせばなる、なさねば成らぬ何事も、と反省し、ある週末電車に乗って多摩川の川原に連れ立っておもむき、貝の化石を探しました。
( 続 く )


by hanmaondo | 2006-09-15 19:26 | 地球科学


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